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ヘブル人への手紙 10:10 - Japanese: 聖書 口語訳

10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

10 この新しい計画にそって、ただ一度死に、それによって、私たちは犯した過ちが赦され、きよくされたのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

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リビングバイブル

10 この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

10 この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

10 イエス・キリストは神が望む通り、すなわちキリストの身体を犠牲にすることで私たち人間が聖なる者となることを許されたのだ。キリストが一度犠牲となった。それで全て十分なのだ。

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聖書 口語訳

10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

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ヘブル人への手紙 10:10
25 相互参照  

その日には、罪と汚れとを清める一つの泉が、ダビデの家とエルサレムの住民とのために開かれる。


また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。


しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。


わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。


あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。


あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。


また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。


キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、


しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、


彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。


彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、


神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。


それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、 「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、 わたしのために、からだを備えて下さった。


だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。


実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。


このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、


キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。


彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。


かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。


永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。


もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。


キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。


さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。


キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。


このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。


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